2019年02月09日

ファースト・マン

久々に映画館で映画を鑑賞した。

アポロ計画のアポロ11号が月に着陸してから50年。ニール・アームストロングが月面に片足を降ろして歴史的なフレーズになった言葉を、ブラウン管を通してNHKの同時通訳で聞いた。

当時ソ連が宇宙飛行を先導していたが、いつロケットを打ち上げて、どんな進捗状況なのかは秘密裏に行われているようで、突然新聞記事で表面に出てくるようなイメージであった。

TVの情報よりも新聞による情報が圧倒的に多く、アメリカはロケットを発射、宇宙でランデブー、ドッキング、宇宙遊泳など写真で発表されていた。毎月のように新しい作業を進めていたのだろうが、子供の私としては毎週のように新聞記事になっていたようなイメージがある。

命綱があるとしても、あの宇宙で船外活動をする勇気、スペースシャトルの時代になってから命綱無しで宇宙に漂う姿も撮影されていた。映画「ゼロ・グラビティ」でもそのようなシチュエーションから始まる。

月面着陸の当日はNHKが長時間にわたり特別番組を放送していた。「ファースト・マン」の中でも月から戻り隔離生活をしている部屋に、世界各国の新聞を置いているのだが、その中に日本語の新聞もチラッと見える。

ヒューストンとイーグルの通信状況を録音したレコードを、販売ではなくLPレコードを購入するとプレゼントするとのPOPで、少ない小遣いを貯めてLPレコードを購入し、そのアポロ11号レコードをゲットした。

イーグルのプラモデルも購入した。流線型でもなく鉄骨のゴツゴツしたような格好は、空気抵抗が無いのであれば、どんな格好でも良いわけだと納得したものだった。

世界的にアポロ熱も冷めていき、アポロが月まで行っても感動は少なくなっていた。最後のアポロ17号の時には既に就職していた。大型コンピュータと英語の読解力向上を目指し勉強していた。コンピュータのマニュアルが英語だったので。

時は経過し、2000年にアメリカに出張することになった。行き先はヒューストン。子供の頃に聞き慣れた「こちらヒューストン」である。成田からダラスへ飛ぶ。ダラスは、月へ行くと演説したケネディが、暗殺された都市である。そこから国内線でヒューストンへ飛んだ。

ヒューストンに降りた時に、空気に湿気があると感じた。海がそんなに遠くないなと感じた。飛行機の乾いた空気の中に長時間いたからかも知れない。

会議や見学が主な出張内容だが、2日毎くらいに息抜きがある。「ジョンソン宇宙センター/スペース・センター・ヒューストン」に行くことになっていた。待望の「こちらヒューストン」である。

トラム・ツアーで宇宙飛行士訓練施設をデッキの上から見学したり、開発中の緊急脱出用機材の説明を受けたり、ワクワクドキドキ、子供の頃に思い描いていた最先端の開発状況を目の当たりにしている満足感、「こちらヒューストン」

そのツアーで管制室も見られる。入り口で2mもあるかと思われる黒人の銃を携帯している警備員にジロリと見られてから、セキュリティ・ゲートを通り、管制室後方のガラス張りの部屋に入る。ガラスのむこうには管制室がある。アポロ時代ほど大きくはないが(映像で見ただけ)、それらしい雰囲気。スペースシャトルの管制室で、残念ながら大型ディスプレイには何も映されていなかった。そろそろと言われて席を立とうとしたとき、大型ディスプレイにスペースシャトルの飛行士が映された。すこし見てから席を立った。「こちらヒューストン」

当時、サターンVロケットは野ざらしで横倒しに展示されていたが、その大きさには驚かされる。この3,000トンもある巨体を宇宙へ打ち上げるのだから、ものすごい推力である。兄がジョンソン宇宙センターへ行った時には、サターンVロケットは屋内展示場に設置されていたらしい、写真を見せてもらった。

それらの記憶と思い出と感慨を含めてTVで「ファースト・マン」のCMが流れ出してから、「よし、封切日に見に行こう」と思っていた。映画の封切日はほとんど金曜日である。休日や夜間でなければそれ程混んでいる事はないだろう。映画館の空席状況も「◎」である、好きなところを選んで座れるだろう。

数十年ぶりに映画のパンフレットを購入した。720円。1,000円程度するかなと思っていたが、正方形のような大きさで、ページ数も少ないのかな。列の前に並んで別の映画のパンフレットを購入した人は、1,000円だった。

ニール・アームストロングがフロリダへの出発前日、荷造りをしている部屋に妻のジャネットが入ってきて、何をしているのかと問い詰める。どうして今生の別れになるかも知れないのに子供たちに説明しないのか、もし帰還できなかった場合の心構えを話してあげないのかと。この時の場面で涙が出てきた。夫を思い、子供たちを思い、自分の心情を吐露する。よく出来た妻だ。しかし後に離婚していたらしい。

エンド・クレジット時に席を立った人たちはほんの少し。室内が明るくなり後ろを振り返ると、たくさんの人達が最後まで見ていた。私と同じような年代の人達だろうか。


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